コンビニのオニギリを開封する時、未だに海苔を完璧に巻けたことのない貧乏人です。
貧乏人、離婚してから心に決めた事があります。
それは
年賀状を一切出さない。そして頂いても絶対に返さない。
ことです。
貧乏人の勝手な都合なので送って頂いた方々や年賀状を肯定する方々には大変失礼な話なのですが。。。
年賀状を頂いた方々の裏面を見ると家族写真や子供の成長を綴る様な写真が載せられてます。
幸せいっぱいな写真で、家を建てられた方でしたら家の写真を載せたり、
「子供は4歳になりました。」
的な事も書かれててとても羨ましい幸せな家族だなぁ。と微笑ましくなります。
それと同時に苦しさも感じてしまいます。
そういう幸せな方々を見ていると「自分は何をしてきたんだろう。。?」
と情けなくなってしまい、自分の情けない姿を見せたくない。。。
年賀状を出せる人は「成功者」、そう感じる様になってしまい
脱・年賀状を決心しました。
もちろん出して頂いる方には大変失礼なのは承知です。悪いのは貧乏人です。
社会人としてのマナーやモラルが無いのも承知しております。
それに、貧乏人も一度結婚した時に式を挙げ、その時に参列して頂いた方々に結婚式の写真を載せて年賀状を出してました。
ですが、正直この頃から「?」という想いがありました。
貧乏人の結婚式に来て頂いた方に「結婚しました」的な写真を送っても
「知ってるわ!!むしろ参列したわ!!」ってなるんじゃないの?と。
もちろん普段のメールやLINEで結婚した事や子供が産まれた事を報告するのはわざわざ感が出るし、結婚してない人への嫌味になるので
報告出来てない人には年賀状で伝えるパターンもあると思います。
普段あまり連絡取らないので年始の挨拶として一報する。というのも分かります。貧乏人も年賀状を出してた頃はこの様に考えてました。
ですが、
「普段から連絡取らないのであればむしろ年賀状いらないんじゃないの?」
と思ってしまいました。
この時代、携帯電話を使えばメールやLINEや電話で簡単に連絡を取ることが出来ます。本当に大事な人とは普段から連絡が取れます。
もともと友達も少ないですし仲のいい友達は3人だけです。
なので貧乏人には年賀状は必要ないかな。と。
それに1番理解出来なかったのは普段一緒に仕事をしてる人から頂く年賀状でした。
そもそも新年明けて初出勤の日に挨拶するんだし年賀状いらないなぁ。と思います。
そして大抵両面印刷で「出しときゃいいや。」感がヒシヒシと伝わる年賀状なんて出す意味がないし、もらっても悲しく感じるものです。
会社の人の年賀状に対して返しの年賀状を出さないのは出世に響くかもしれない。。。
環境も悪くなり仕事がしにくくなるかもしれない。。。
そう思いましたが安西先生の言葉を信じ、断固たる決意をするのは今しかない!!!そう思い、今まで50通くらい出してた年賀状に別れを告げました。
脱・年賀状をしてから1年目は「返事くらい出せよ!」等は言われましたが、3年目の今年は殆ど来てません。
それに2年目から出さなくても何も言われなくなって「貧乏人は返さないやつ。」そう思われてるので出社しても何も言われませんでした。
こうして脱・年賀状に成功した貧乏人です。
ただ、こんな貧乏人でも昔から仲のいい友達3人とは年賀状のやり取りをしてます。(結局は出してるんですが。。。)
その年賀状の表面は手書き、裏面にも手書きでメッセージがあります。この様な年賀状には本当に温かみを感じます。
脱・年賀状を心に決めましたが、この3人とはこれからも年賀状を含めて大事にしようと思う関係です。
そう改めて感じたお正月でした。
最後になりますが、あくまで貧乏人の考えで、年賀状を否定する訳でもないですし推奨する訳でもありません。もしこの記事を読んで気分を悪くした方がいらっしゃいましたら本当に申し訳ございません。
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